プロフェッショナルインタビュー 株式会社エムスクエア・ラボ

リケジョが変える日本の農業・注目の起業家【エムスクエアラボ/代表取締役・加藤百合子氏】

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株式会社エムスクエア・ラボ、代表取締役 加藤百合子氏

食糧危機への不安から農学部を選び、農業✕ロボットで農業流通革命を目指す起業家

加藤は、東京大学農学部を経て、イギリスで修士号を取得後、産業機械の開発を経て、農業流通革命をおこすべく「ベジプロバイダー®」事業を立ち上げた女性だ。今日に至るまで決して一本道のキャリアを歩んできたわけではない。

どのような選択をして起業家として注目される今日まで至ったかを探っていきたい。

「つまらない」と名門中学を自主退学

m2labo_kato_011974年に千葉で生まれた加藤は父親が「制服が可愛いから」という理由で選んだ都内の名門校に中学受験をして無事に合格する。

しかし数学の面白さに目覚めた加藤は、他の教科の授業中にもいわゆる「内職」で数学を勉強するようになっていった。ある時それを先生に見咎められ教壇の前に立たされ説教を受ける。

加藤氏:
「つまらない学校だと思ってしまったんです。だから高校受験しようと決めて、中学2年生の夏休みに退学してしまいました」

食糧難を怖れ、農業分野へ進学

中学生ながら自ら退学を決め臨んだ高校受験では、最難関ともいえる慶應義塾女子校に見事合格する。入学したときはそのまま慶應大学に進学するつもりでいたが、様々な環境問題に触れるに従って、次第に別の進路を考えるようになる。

加藤氏:
「当時環境問題が取りざたされ始めていた頃で、環境に関するテレビ番組を観たり、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』などの本を読んだりしているうちに、このままではCO2が増えて空気がなくなっちゃう、緑が地球から消えちゃうと真剣に思うようになって、すごく怖くなってしまったのです」

環境問題に対して心からの恐怖心を抱いた加藤は、チラシの裏紙を使うなどして自分なりに環境問題に取り組むと同時に、自分なりに何ができるかを模索し始める。そして慶応大学に生物系の学部が医学部しかないことから、他大学への進学を考えるようになり、東京大学農学部に入学する。専攻は農業機械で、学部時代は農薬を使わなくて済むよう雑草を見極めて焼き切るというロボットアームの研究をしていた。

加藤氏:
「当時は第二期の植物工場ブームでした。もともと食糧難が怖くて農学部へ行ったので、これなら無尽蔵に作物が作れると若気の至りで思ってしまったのに加え、モノ作りも好きだったので農業機械を専攻しました。バイオですと成果がでるまでのスパンが長期になってしまい性格的に向かないと思ったというのもありました」

英名門大学院でも際立つ日本人の数学力

つまらないと思ったら名門中学でもすぐ辞め、食糧難に立ち向かいたいと思ったら慶應大学への進学もあっさりと捨ててしまうように、加藤はこれと決めたら迷わずに自分のゴールに向かって突き進む。自分に嘘をつかずに結果を求める姿勢が彼女に農業機械を選択させた。そしてそうした姿勢が大学院の選択でも表れる。

m2labo_kato_02加藤氏:
「アメリカだと修士を取るのに2年かかるのに対し、イギリスですと一年で取れるので、効率いいなと思いイギリスの大学院へ行きました」

進学先は航空宇宙工学やMBAで有名なイギリスのトップ校の一つクランフィールド大学。修士論文は「スプリンクラーロボット」。偏西風が吹き続けるため、均一に水の散布を行うのが難しいイギリスのスプリンクラーのためのヘッドの制御を研究した。在学中に論文で数式を使うと、周囲から「こんな数式よく解けるね」と言われることがあった。加藤からしてみれば高校レベルの数式であり、そこで日本の数学教育の基礎力の高さが実感できたという。

10ヵ月で修士号取得し、NASAのプロジェクトへ

イギリスのカリキュラムを2か月前倒しで終わらせ、加藤はあるプロジェクトに加わるべくニュージャージー州立大学へと渡米する。

そのプロジェクトは宇宙ステーションに植物生産のシステムを乗せるというもの。加藤の担当はどうやったら食料を切らさずに生産できるかというプロセスをJAVAで組むというものだった。

加藤氏:
「アメリカではそういうプロジェクトが全米の大学に割り振られます。Web会議のシステムも発達していない当時、どうやってコミュニケーションを取るのだろうと不思議だったのですが、当時のITツールや電話会議などを駆使して、WEB上でJAVAの共同開発をしていました」

そうした先進的な取り組みの他に加藤が驚いたことがもう一つあった。

加藤氏:
「当時の私でも日本円にして月に20万円ほどの報酬をもらっていました。アメリカではプロフェッショナルに対して敬意を抱いて対価を払う文化があるのだな、と思いました。日本ですと『好きなことやっているんだからただ働きしろ』と言われかねない風潮があると思うのですが、それですといつまで経ってもプロフェッショナルとしての自信を持てるようになりません。修士号や博士号を取っているということはすでにプロフェッショナルなのですから、それに対してきちんと対価を払うようにならないと、日本は研究開発の分野で勝てなくなると思います」

海外からの就職活動

刺激に満ちたNASAのプロジェクトだったが、わずか6か月でチームを離れてしまう。

m2labo_kato_03加藤氏:
「実はイギリスにいた時に彼ができたのですが、その彼が日本に帰国することになったのです。渡米したときは彼と結婚する気はなかったのですが、いざ離れると恋しくなり、急に日本に帰りたくなってしまったのです(笑)」

そのままアメリカにいれば博士号を取ることもでき、輝かしいキャリアを送ることができたかも知れなかったが、一度心を決めると迷わないのは加藤の特徴だ。
とはいえ留学の費用を出してくれた親の手前、何もないのに帰国するわけにもいかないと、アメリカから国際電話とメールを使って就職活動を始める。

モノ作りが好きな加藤は優良メーカー4社に絞って就職活動を始める。すでに12月になっていたこともあり、そのうち二社からは基本的には研究室の紹介でないと駄目だと門前払いされた。残った二社と話を進め、年末年始の帰省時に面接をし、最終的にキヤノンから内定をもらった。

余談ではあるが、加藤が就職活動をした4社はどれも日本を代表する企業であったが、面接を受け入れた2社がその後バブル時をも上回る株価の最高値を更新していった。他方、門前払いをした2社は現在2000年当時の株価を大きく下回り苦戦を強いられている。

これを偶然の符号といって片付けることができるかも知れないが、どんなに好調な企業であってもオープンさを失い、過去の因習に囚われ始めた瞬間に組織の硬直化と停滞が始まるということの証左とみることもできる。いずれにせよ企業風土とその成長は密接に関係していることは間違いなく、会社選びをするときは単にその時点での企業の業績を見るだけでなく、企業の風土も注意深く見るべきだということを示唆してくれているエピソードとして興味深い。

結婚によるキャリアの転換

日本に帰国した加藤はキヤノンに勤めた後、結婚を機に同社を退職し静岡に引っ越す。キヤノンでの仕事はSoC(System-On-a-Chip)の検証という難しいがやりがいのある仕事だったが、そこを離れ夫の親族の経営する産業機械製作の会社に入社することになる。

帰国の際といい、結婚の際といい、素晴らしいキャリアをいわばあきらめるような形で離れることを経験している。加藤に限らず、女性がキャリアを形成するとき結婚や出産など男性とは違った障害を乗り越えなければならないことがままあるが、そうした選択に逡巡はなかったのだろうか?

加藤氏:
「全然なかったですね。幸い産業機械の開発が面白そうな仕事だったので悩むことはありませんでした。その仕事がなく結婚だけだったらキヤノンはやめなかったかも知れませんでしたが」

あっけらかんと言う加藤は、プロフェッショナルとして自分が活躍できる場所があることを大切にしているが、それがどのような舞台であるかに関しての執着は薄いようだ。ただ「女性の場合は柔軟にキャリアを積めるようにしておいた方がいいかも知れません。私の場合は、数学が好きだったのでつぶしが利いて生きてこられました」ともいう。会社や社会で女性が働くことに対して理解が深まってきているのは事実だが、それでもまだまだ結婚や出産などで女性が難しいキャリア選択を迫られることは多い。女性がより働きやすくなる社会が到来するに越したことはないが、問題が現実的にある限り自分で対応していかなければいけないというのは、直視しなければならない現実だろう。

子供たちに理解してもらいやすい仕事

転職した産業機械開発の仕事は非常にやりがいのあるものだった。会社は従業員500人程度の規模だったが、そこで開発される減速機は世界一の技術を誇るものであり仕事は楽しかった。

その会社の勤務時代に二人の子供を授かり、忙しい研究員としての生活の傍ら家事もこなしていったが、仕事で結果を出し子育ても一段落がついてくると、ふと自分のキャリアに関して疑問が加藤の脳裏に浮かんできた。

m2labo_kato_04加藤氏:
「もともと農業がやりたくて勉強を始めたのに、全然違うことをしているなと思ってしまったのです」

また、BtoBの産業機械を扱っていたので、子供にどのような仕事をしているのかを伝える難しさも感じていたという。

加藤氏:
「ケイタイの画面を作っているんだよ、と言う種の仕事だったらわかりやすいのですが、工場の中のものを作るためのものを作る機械の部品を開発しているというのですと、どれだけ最先端のことをやっていても子供にはわかってもらえないんですよね」

子供たちにもわかりやすい仕事をしたい、そうすれば母親が忙しくて留守番をする必要があっても子供たちはもっと納得するのではないかと加藤は考えた。

農業事業の立ち上げ

初心に返って農業のことを学ぶことを決意する。
加藤は地元静岡大学の静岡農業ビジネス起業人育成講座に通い始める。同講座は静岡大学農学部が社会人向けに開設した講座で、農業を始めたい人やすでに農業を行っているがより現代的な経営を学びたい人が週一回半年に渡り受講するものだ。コースは栽培の知識から始まり、最後は農業ビジネスモデルを作って終わる。

そこでの学習を通じて改めて日本の農業の閉鎖性を痛感した加藤は、農業情報を開くような仕組みを作りたいと強く思うようになる。

そしてコース終了とともに加藤は株式会社を立ち上げる。子供にもわかりやすい仕事という母親として希望をこめたその社名は株式会社エムスクエア・ラボ。エムスクエア(M2=Mの二乗)という社名は、Mamaの二つのMから来ている。そしてその事業の根幹をなすのが、冒頭で触れたベジプロバイダー事業だ。

加藤氏:
「モノと情報を一致させて最後まで届けるのがベジプロバイダ―の仕事です。簡単なことです、昔ながらの作る人、使う人の関係を作り出すのです。大切なのは、作り手と使い手が互いの顔を見えていて、双方
のことを理解しているということです。信頼をベースとした顔の見える流通です」

この考え方は1980年代にイタリアで起きた「スローフード運動」とかなり合致する。日本でスローフードというと、ともすれば有機野菜を食することと同義にとらえられがちだが、もともと同運動は、農業のグローバル化により効率が優先されるようになったことに対するアンチテーゼとして登場し、顔が見えるもの同士のつながりを大切にすることによって小規模農家でも地域に根差して地域文化を守りながら永続的に食料を供給することを理念としているのだ。

課題を掘り下げてシンプルに

加藤氏:
「農家の人たちはこれまで流通の多重構造に悩まされてきたのです。」

また天候不良により不作になると「この産地はだめだね」といって、次の産地に農家を変え、その結果廃業に追い込まれる農家も少なくないという。

しかしこうして使い捨て感覚で農家が軽んじられてきた結果、農家はどんどん減り、流通は売る野菜がなくなってきてしまっているという悪循環が発生してしまっている。加藤はこの悪循環をなんとかしたいのだ。

とても社会的意義の深い活動だが、これまでの加藤のキャリアがこの事業に果たして生かされているのだろうか?

m2labo_kato_05加藤氏:
「研究開発と一緒で、大切なのはそもそも論です。私たちが行っているのは課題解決型の事業ですが、産地偽装が起きているという課題やご苦労を重ねている農家が多いという課題に対して、そもそもの原因は流通が農家を困らせているからかいえば、必ずしもそうではありません。そもそも生産者と消費者同士が顔を見える関係にあればいいのではないかとシンプルになっていくのです。研究開発はその繰り返しだったのですが、事業でも同じように一つ課題があった時に、掘り下げてシンプルにして解決していっています」

その結果、生産者と消費者のマッチアップと顔合わせという、きわめてアナログな昔ながらの方法をとっている。しかし、これができればITを使った複雑な管理システムがなくても、生産者から消費者のもとに信頼のできるモノを届けることができるのだ。

ベジプロバイダー事業を行うにあたっての加藤自身の強みを尋ねてみた。

加藤氏:
「一番は、作る人の気持ちがわかることです。モノづくりが大好きで、ゼロイチで何かを作り出す人を尊敬しています。その気持ちが伝わるので、相手からも信頼してもらえるのだと思います」

高いキャリアを積み、高度な専門性も獲得してきた加藤が今一番誇れるものは信頼関係なのだ。

一生懸命取り組めばすべてのキャリアはつながっていく

エムスクエア・ラボでは現在、ベジプロバイダ―事業の他、農業を通じた人材育成事業「アグリアーツ」の運営や農業ロボット開発を支援するなど、さまざまな農業事業支援を行っている。

流通のみならず、ロボットやその他の技術やノウハウを使い、一つの新たな軸を作り上げたいと加藤は構想している。

加藤氏:
「よくイノベーションは破壊と創造いいますが、農業のように社会の礎をなしているようなものは、完全に破壊してしまったら本当に駄目になり立ち行かなくなってしまいます。ですから既存のものと共存しながら、新しいエコシステムを作ることが大切だと思っています」

自分の夢に向け、着実に前進している加藤だが、そのキャリアを振り返ってみると決して一本道でない。本人はその辺りをどう思っているのだろうか?

加藤氏:
「あまり先のことを考えずに、その時々やりたいと思ったことを一生懸命やってきました。先のことを考えすぎても思い通りに行くとは限りませんですから。ただ一生懸命取り組んでいると、それが結果的に色々とつながってくるのです」

加藤氏:
「SoCの検証のキャリアが、安価でロボットの制御系を組むことに役立ちましたし、ロボットの仕事でものすごく頑張ったので、それを評価してくれた人が現在の農業ロボットの開発を支援してくれています。農業に関する専門性も高まってきて、産業ロボットと農業という相容れないような二つの分野の専門性をもったことによって、人々を巻き込みながら自分の思ったコンセプトにしたがったものを作れるようになってきたし、省庁さえも動かすことが出てきました」

一つのことのオタクたれ

自らの情熱と本能に従いキャリアを切り拓いてきた加藤だが、これから就職を考える学生に対して何かアドバイスはないか尋ねてみた。

m2labo_kato_06加藤氏:
「何でもいいので、一つのことのオタクになることが大切だと思います。一つのものを極めると、その根底に流れる思考プロセスが身について問題解決力が培われます。一端思考プロセスができあがれば、課題が変わってもやることは一緒なので、何に対しても問題解決能力が高まります。だから『私はこれが得意です』という得意技をもつようにすることはいいと思います」

とはいえ、専門性を高めても、日本の会社社会においては必ずしもその専門性が生かされるとは限らない。その辺りの矛盾とどのように向き合えばいいのだろうか?

加藤氏:
「与えられた仕事は夢中になって、その時は没頭してやる!これが20代の鉄則です。そうして一生懸命やったことは絶対に無駄になることはありません。後々色々な形で自分の資産になっていきます。若いうちは『やってくれ』と言われたことをやって成果を出すことが大切です。そこで頑張るか頑張らないかで次の10年が変わってきます。その時に、1やれと言われて1だけやっていたのでは、先細りに可能性があります。1やれと言われたら、サービス精神を発揮して1.5、何なら2くらいの成果を出してやろうという気持ちがあるといいと思います。その頑張りはすぐには給料という形で反映されることはないかも知れませんが、次の10年は確実に変わってきます」

様々な社会経験を積み、楽しむこと

その他に学生が気を付けた方がいいことはないだろうか?

m2labo_kato_07加藤氏:
「学生は名前で選びがちなので、実態がわからないまま大企業に入って『こんなはずじゃなかった』ということがよくあります。でも地方にもニッチながら世界に貢献しているような素晴らしい会社はたくさんあります。そういう企業は採用費用をかけられないので、あまり知られていませんが、きちんと調べるとわかるはずです」

最後に学生に向けたメッセージはないか尋ねてみた。

加藤氏:
「楽しむことですね。あまり先々のことを考えすぎずに、楽しむことです」

加藤自身の楽しそうな笑顔と、歩んできたキャリアがその言葉に圧倒的な説得力を付加していた。
(了)

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